ポップグループ ABBA とナチスドイツの人口政策

スーパーグループABBA

(最強グループ ABBA の女たち・その前とその後 その1)

スウェーデンが生んだ最高のポップグループと言えば、なんと言っても ABBA ですよね。かの有名なダンシング・クイーンは、もう40年前の曲ですが、今でも十分通用するぐらい完成度高いです。

で、今回は ABBA の二人の美女のお話しです。

まず、フリーダ(Anni-Frid Lyngstad)について。赤毛の女性ですね。

ABBA はスウェーデンのグループなんですが、彼女だけはノルウェー出身です。
そして母親はノルウェー人だけど、お父さんはドイツ人。
ウィキペディアにも書いてあるので知っている人も多いと思いますが、フリーダはノルウェーが占領されていたときに(1940-45)、ドイツ人兵士と現地人の間にできた子供です(生まれたのは戦後)。

しかも、恋愛とか “現地の女の子に手を出した” というものとはちょっと違います。当時のドイツ兵は、占領地ノルウェーの女性と懇ろになって子供を作るよう奨励されていました。
つまり、ナチスドイツの人口政策の一環であり、半ば命令のようなものだったわけですね。

その結果生まれてくる子供は、私生児であっても、大切に育てられました。実際、フリーダのお父さんであるドイツ兵も母国に妻子がいたそうです。
母子のための施設もノルウェー国内の各地に整備され、安全にまた秘密裡に出産し育児をすることができました。
そのようにして生まれた約12,000人の子供達の大半は、施設の理想的な環境で優良児として育てられたのです、しばらくの間は。

そして、ドイツが負けます。
ヨーロッパ各地でナチスドイツの協力者は酷い目に遭いましたが、ノルウェーでもドイツ人と付き合っていた女性とその子供達は、国民的憎悪の対象となりました。
ただ違ったのは、そういう女性たちを強制的に収容所に入れたことです。政府主導でそのようなことをしたのは、ノルウェーだけだったそうです。

そして、残された子供達は優良児から一転して厄介者になりました。処遇に困った政府は、精神科医が「知的障害の疑いがある」と “診断” したこともあり、子供達を知的障害施設に入れてしまいます。
このようにして彼らは一般社会から隔離されました。施設内では様々な虐待もあったようで、後で問題になります。

 

この過酷な状況でフリーダの家族はどうしたか?

 

スウェーデンに逃げました。その後、お母さんは若くして亡くなってしまったので、フリーダは祖母に育てられます。そして、歌手になり大スターの道を歩みます。

彼女は「お父さんは死んだ」と聞かされていたので、ずっとそう思い込んでいたようですが、ダンシング・クイーンを出して世界的に大ブレイクした翌年の1977年、お父さんがまだ生きていることが分かり、ストックホルムで初めて面会します。

以下のドキュメンタリー番組は、その経緯についてレポートしています。

 

 

ノルウェーに残って戦後迫害された子供達は国家賠償を求めました。しかし、ノルウェー政府はなかなか受け入れず、漸く認められたのが2004年。一方、フリーダは超大物スターとして活躍した上、何度か結婚を繰り返して今は公子夫人。
明暗が分かれる、とはよく言いますが、ここまでコントラストが強烈だと目眩がしますね。

上のドキュメンタリー番組は一連の経緯がよくまとめられていると思います。
ただ、「この出生の秘密がフリーダの心に影を落とした」というトーンを強調し過ぎていて、若干違和感を感じます。

もちろん複雑な心境であったのは確かでしょう。でも、彼女はスウェーデンに移住した後もノルウェーの親戚の家に遊びに行ったりしてるんですよね。
ABBAのメンバーになってからもノルウェーでツアーしたりして人気あるし。

だから、終戦直後のノルウェーの “国民的感情” はかなり早期に終息していたのではないか、と想像します。

それにもかかわらず、精神医学が政府の “公式な迫害” お墨付きを与えてしまったため、いたずらに問題が長期化して拗れた、ということなのではないでしょうか。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。